まさひろ君

先日ダウン症の書家金澤翔子さんが新聞に紹介されていた。
背景に力強い彼女の書「共に生きる」が見えた。私はまさひろ君を思い出した。

まさひろ君と初めて会ったのは彼が2歳半のころであった。
健康な長男として生まれたが母親が目を離した隙にはって風呂に落ちた。
蘇生はできたが脳障害が残り、気管切開孔からチューブを入れ機械呼吸を続けていた。
受診時にはこのチューブから自発呼吸ができていた。
来院はチューブを抜いて口から自然呼吸をさせるためである。

気管切開チューブの抜管で問題なのは、抜管後の粘膜の腫れと切開孔の閉塞時にできる肉芽で、
どちらも内腔5ミリに満たない気管腔を閉塞する。
2年間試行を重ねたが、いずれも抜管すると短時間で呼吸困難に陥った。
結局気管が十分太くなるまで待つことにした。
この2年間母親は家庭も自分も捨て病室で寝泊まりした。
彼は24時間気管吸引が必要だったのだ。

2年後彼は小学校の普通クラスに入学した。母親の切なる願いだ。
チューブがあっても母親と同伴なら危険はないと私が嘆願書を書いた。
そして二人は一緒に学校に通い教室に座った。
その後消息は途切れていた。

ある朝、新聞紙上で全国の書道展を見た。
最上段に内閣総理大臣賞を受けた小学生の書があった。「生きる」と書かれていた。
筆をいっぱいに押しつけ、一気に書き抜いた、力みなぎる書であった。私は圧倒された。
そこに小学6年生の彼の署名を見つけたとき、感動のあまり 嗚咽がこみ上げた。

数日後病院内で彼にばったり会った。左手で廊下の手すりをつかみ、引きずるように歩いていた。
あの書は少し動きの良い左手で書いた、中学は養護学校へ行くとはにかんで言った。
あの書と彼の人生を今も思う。

※2012年6月30日付記事 (新井 達潤 先生)